America First 2016 10 9
書名 アメリカ側から見た東京裁判史観の虚妄
著者 江崎 道朗 祥伝社新書
早速、興味深いところを引用しましょう。
以下は、引用です。
民主党のルーズヴェルトは1933年、
大統領に就任すると直ちに、
共産主義を掲げるソ連と国交を樹立し、
反共を唱えるドイツと日本に対して、
敵対的な外交政策を取るようになった。
この対ドイツ敵対外交によって、
「アメリカがヨーロッパの紛争に巻き込まれることになるのではないか」と懸念した共和党議員たちは、
1935年から37年にかけて一連の中立法を制定し、
外国で戦争が起こった場合、
アメリカが交戦国に軍事物資を輸出したり、借款を供与したりすることを禁じた。
(中略)
戦争となると、大統領に権限が集中する。
大統領に権限が集中すると、政府の権限が強化され、
個人の自由を侵害する恐れがある。
よって、できるだけ戦争は避けるべきであり、
特にアメリカの安全保障と密接には結びつかない外国での戦争に、
アメリカは、できるだけ関与すべきではない。
これが、初代大統領ワシントンが唱えた外交原則なのだ。
ところが1939年、
第二次世界大戦が欧州で勃発すると、
民主党のルーズヴェルトは、
イギリスに対する軍事援助を実施するため、
武器貸与法案を連邦議会に提出した。
この法案に真っ向から反対したのが、
共和党のフーヴァー前大統領やタフト上院議員、フィッシュ下院議員たちであり、
1940年9月に結成された「アメリカ第一委員会(America First Committee)」であった。
「アメリカ第一委員会」は、
武器貸与法案に反対するとともに、
対日経済制裁の強化にも反対したのである。
そこには、「弱く、敗北した日本ではなく、
強い日本を維持することがアメリカの利益となる」(ジョンズ・ホプキンス大学タイラー・デネット)という判断があった。
「強い日本」がないと、アジアでの軍事バランスが崩れ、
アメリカ政府はアジアに対して介入せざるを得ず、
結果的にアメリカも、アジアでの戦争に巻き込まれると考えたのである。
(引用、以上)
さて、江崎道朗氏の別の著書にも、興味深いものがありますので、
それも引用しましょう。
この二つの引用を読めば、
なぜ、共産主義が一時期、地球を覆うほど拡大したのか、わかるでしょう。
本来、このような思想は、マイナーな思想であるはずだったのです。
二人のルーズヴェルト 2014 8 10
今日も、江崎道朗氏の著書から、興味深いところを紹介しましょう。
アメリカは、この100年、二つの対日政策で揺れてきた。
一つは、「大陸国家(ロシアや中国)の膨張政策の防波堤として、
日本を活用すべきだ」というものだ。
日露戦争の時、セオドア・ルーズヴェルト大統領が、
この「ストロング・ジャパン(強い日本)」政策を採用した。
もう一つは、「強い日本は、アジアの脅威であるばかりでなく、
アメリカの権益を損なう存在だ」というもので、
日中戦争の時、フランクリン・ルーズヴェルト大統領が、
この「ウィーク・ジャパン(弱い日本)」政策を採用した。
(引用、以上)
こうした二つの対日政策とベノナ文書を見ると、
実に興味深いものがあります。
「べノナ」文書(米軍諜報部が解読した旧ソ連情報部の秘密文書)
(以下は、ウィキペディアから引用)
1995年、ベノナ(ソ連暗号解読プロジェクト)が機密扱いをはずされ、
ソ連の暗号通信の内容が明らかになった結果、
ソ連のスパイ行為は、マッカーシーの見積もりよりも、
さらに大規模なものだったことが判明している。
ベノナは、特にソヴィエトのスパイに色々な方法で協力した、
合衆国の市民、移民、そして永住者を含む少なくとも349人の人々について言及している。
マッカーシーは、ベノナ秘密情報への接触はなく、
彼の情報は他の情報源からだと信じられている(FBIのフーヴァー長官からだという)。
ベノナは、マッカーシーにより調査された、
ある人物達が、事実、ソ連のスパイであることを明らかにしている。
たとえば、メリー・ジェイン・キーニーは、
マッカーシーにより単に「共産主義者」とされているが、
実際には、彼女も、その夫もソ連のスパイだった。
マッカーシーにより名指しを受けたロークリン・カーリーは、
ルーズヴェルト大統領の特別顧問だったが、
ベノナによりソ連のスパイであることが確かめられた。
(引用、以上)
マッカーシー(1908〜1957)は共和党の上院議員で、
1950年に国務省に潜む共産党員の名簿を入手したと発言し、
一躍、世界の注目を浴び、
彼の反共産主義運動は「マッカーシズム」と呼ばれました。
(参考文献 ジョセフ・マッカーシー著「共産中国はアメリカがつくった」)